働け圧に「諦念」で対処するのは100年以上の歴史がある

読書

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どうも、ぶちおです。

「働け圧」の対応には明治時代から難儀しているのですね。

題名にそそられる

仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える』‎(泉谷閑示(著) 幻冬舎 2017/1/28)

という本を読みました。

題名に「そそられて」思わず手に取ってしまいました🤣

精神科医が「生きる意味」について考察した内容です。

「ハングリーモチベーション」が終焉した今、現代人は「生きる意味」を失っているといいます。

「何がしたいのかわからない」という悩み ~「楽になりたい」というささやかな夢

最近様々なメディアで、若い世代の人たちの「何をしたいのかわからない」「特にやりたいこともない」といった発言を耳にします。さらには、小・中学生に将来の夢を尋ねても、中には「楽になりたい」「楽に暮らせればそれでいい」といったものもあるようです。実際、私がクライアントから受ける相談においても、やはりそういった悩みがとても増えてきていることは、間違いありません。

引用元:第1章 生きる意味を見失った現代人 p22

上記のような「楽になりたい」思考は、若い世代に限らずあらゆる世代に共通するものですね。

現代の「仕事」は生きがいに出来るような代物ではなく、長時間労働で心身ともに蝕まれていくだけという主張も、共感するところ大です。

FIRE民やセミリタイア民が増えるのも必然ということでしょう。

働け圧の対処は100年前から変わらず

この本の本筋とはちょっと外れますが、気になったところがあります。

夏目漱石の「それから」の登場人物である代助が、父親から働くよう説教される場面があります。

「そうです」と伝助は答えている。親爺から説法されるたんびに、代助は返答に窮するから好加減なことを言う習慣になっている。代助に云わせると、親爺の考えは、万事中途半端に、或物を独り勝手に断定してから出立するんだから、毫も根本的の意義を有していない。

(中略)

要するに端げいすべからざる空談である。それを基礎から打ち崩してかかるのは大変な難事業だし、又必竟出来ない相談だから、始めよりなるべく触らない様にしている。

引用元:第2章 現代の「高等遊民」は何と闘っているのか p63

ハングリーモチベーションを背景に働けと言ってくる父親に対して、適当に受け流しています。

価値観の決定的なズレに対して、直接対決よりも諦念をもって対処しています。

働けと説教してくる年配の人達と、それを受け流すニートや無職の構図と同じです。

夏目漱石といえば明治時代の人ですので、働け圧の対処方法は100年以上前から変わらないんですね。

セミリタイアを理解してもらうのはムリ

セミリタイアするにあたり、周囲の人に理解してもらいたい願望が出ることがあります。人間ですから、誰かに理解してもらいたいと思うのはしょうがないでしょう。

ですが、セミリタイア流派外の方々は定番のフレーズを繰り出してきます。

  • 投資なんか危険で当てにならない
  • 年金も当てにならない
  • 人生100年時代といわれているから100歳まで生きる可能性がある
  • 仕事辞めた後何するの?

1つ1つ反論しようと思えばできるのですが、そうしたところで絶対に理解してもらえないでしょう。決めてかかっているわけですからね。

だとすれば、あとは「諦念」でもって対処するしかありません。

異なる流派に属する人に理解を求めてもムリなことは、100年以上の歴史が物語っているんですね。

終わりに

生きる意味を感じるためには「遊ぶこと」「即興に身を委ねること」を挙げています。

「合理性」だけではイカンということなのでしょう。

200ページ以下の薄い新書ですが、なかなかに「奥が深い」内容でした😮

Posted by ぶちお